工務店の下請けから、自社職人による直接施工の屋根・雨漏りリフォーム会社へとシフトしてからまだ数年。しかしこの短い期間に、私は実に多くのことを学ばせてもらいました。それは、直接お客様の悩みをお聞きし、責任を持ってそれを解決するという関係だからこそ、学べたこと。従来のように、工事現場の中の一つのコマとして、言われた職分だけを果たしていた頃には気づけなかったことが、そこにはたくさんあります。
これからも、お客様が安心して仕事を依頼して下さり、何かあった時には”森建築板金工業に聞いてみよう”と思って下さるような関係でありたい。そう思い、お客様への12項目の約束をつくり、お渡しすることにしました。
これはお客様への誓いであると同時に、私自身への戒めでもあるのです。
20歳のあの日、私を突き放した父の口ぐせは「やる気がないなら、やめろ」です。
30歳になった今、私はその意味が少しわかったような気がします。ここまで自分を支えてきたもの、それは「やる気」だけだったと思えるからです。
自分が心から「やりたい」と思わなければ、道は開けないのですね。
父に文句を言っているだけだったら、私はいまだに使えないヤツのままだったでしょう。
少々手荒だったような気もしますが(笑)、それを教えてくれた父に心から感謝しています。
仕事人としての私は、まだまだスタートラインについたばかり。これからもたくさんの困難が待ち受けていると覚悟しています。いまはまだ、たくさんの人に「ありがとう」を言うことの方が多い私ですが、その人たちに恩返しをするためにも、少しずつ「ありがとう」を貰えるような仕事をしていきたいと思っています。
みなさま、これからも温かく厳しく見守っていてください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
大正15年 | 大和高田市内本町において、曾祖父である森佐一郎が『森ブリキ店』を創業。 昔ならではのリアカーを引きながら個人様宅を周り板金業を営む当時、工事代金の代わりにお米を貰っていたという。 |
昭和22年 | 大和高田市昭和町において、祖父である森延生が『森板金店』を開設。工務店など大手企業を取引先とし事業を拡大する。個人様宅も積極的に周り地域での信頼を得る。 |
昭和55年 | 大和高田市材木町において、父である森延幸が『森建築板金工業』に社名を変更し代表に就任する。工務店など大手企業を引き継ぎより事業を拡大し奈良県だけではなく、近畿圏にも事業を拡大する。 |
平成8年 | 新事務所・工場(大和高田市土庫)完成、移転する。 |
平成13年 | 建設業許可を取得する。建築板金業のみならず建築工事にも事業を拡大する。 |
平成16年 | 大和高田市土庫において、現社長である森亮介が『有限会社 森建築板金工業』を設立する (資本金 5,000,000円) 建設業許可 奈良県知事許可(般-16)第14517号 |
平成18年 | 奈良県で初めてタッチパネル付最新折り曲げ機・切断機を導入する。 |
平成21年 | 長年の経験を生かし個人様宅をメインとした『雨漏り修理専門』部署を立ち上げインタ-ネットでの集客方法を学び積極的に事業を拡大している。前年まで個人様宅売上が1割にも満たなかったが今年に入り、売上を2割に伸ばし今後も拡大する予定である。今後、近畿圏のみならず全国に『雨漏り修理専門』の事業を拡大できるよう思案している。 |
平成25年 | 株式会社 日本雨漏り修理専門119 を設立。 全国の雨漏りでお困りの方を救うために集まった同志と共に理念を共有し活動を行う。 日本雨漏り修理専門119主催で奈良県内の市町村を周る「屋根リフォームで失敗しない市民講座」を開催。 のべ100人以上の方が市民講座に参加されている。 |
平成26年 | 雨漏りに強い塗装としてアステックペイントを導入し、外壁の塗装工事を本格的に始める。 2015年度全国アステックペイント工事実績において奈良県第1位受賞。 NPO法人日本建築お悩み相談 副理事長に就任。 |
平成27年 | 関西119を始動。森建築板金工業と同じ理念を持つパートナー会社様と1人でも多く雨漏りでお困りの方を救うべくパートナー会社様を支店とし、業務を開始する。 |
平成27年 | 東京支店 開設 |
平成28年 | 福岡支店 開設 |
平成29年 | 平成28年度大和高田市男女共同参画社会づくり表彰 「大和高田市いきいき会社宣言事業所」として、誰もが働きやすい職場づくりをとおし、大和高田市の男女共同参画社会実現への積極的な取組みを表彰されました。 |
工務店の下請けから、自社職人による直接施工の屋根・雨漏りリフォーム会社へとシフトしてからまだ数年。しかしこの短い期間に、私は実に多くのことを学ばせてもらいました。それは、直接お客様の悩みをお聞きし、責任を持ってそれを解決するという関係だからこそ、学べたこと。従来のように、工事現場の中の一つのコマとして、言われた職分だけを果たしていた頃には気づけなかったことが、そこにはたくさんあります。
これからも、お客様が安心して仕事を依頼して下さり、何かあった時には”森建築板金工業に聞いてみよう”と思って下さるような関係でありたい。そう思い、お客様への12項目の約束をつくり、お渡しすることにしました。
これはお客様への誓いであると同時に、私自身への戒めでもあるのです。
板金屋の仕事は”屋根を雨漏りさせないよう、きれいに仕上げること”。ただそれだけです。
でも、それだけのことがとても難しいんです。祖父がよく「どんな雨漏りでも止められるようになったら板金職人として一人前や」と口ぐせのように言っていましたが、自分が職人になってみて、初めてその意味がわかりました。
人を使う社長の立場としては、自分が早く技術を身につけないと話になりません。それこそ鼻血が出るほど一生懸命勉強しました。
道を歩いていて、いい仕上がりだなあと思う家があると、お願いして屋根の仕上げ方を見せてもらうこともよくやりました。全然知らない家の呼び鈴を押して、わけを話して上がらせていただくんです。結構みなさん快く、家に上がらせてくださいましたよ。この時に協力してくださった方々には、いまも本当に感謝しています。
そうやって3年が過ぎた頃、父が工務店をする時に森建築板金工業を去った阪本のおっちゃんが戻ってきてくれました。祖父と一緒に修業をしたベテラン中のベテランです。嬉しかったです。19歳の新人・西田君も入社し、少しずついまの森建築板金工業の基ができあがっていきました。
大正15年 | 大和高田市内本町において、曾祖父である森佐一郎が『森ブリキ店』を創業。 昔ならではのリアカーを引きながら個人様宅を周り板金業を営む当時、工事代金の代わりにお米を貰っていたという。 |
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昭和22年 | 大和高田市昭和町において、祖父である森延生が『森板金店』を開設。工務店など大手企業を取引先とし事業を拡大する。個人様宅も積極的に周り地域での信頼を得る。 |
昭和55年 | 大和高田市材木町において、父である森延幸が『森建築板金工業』に社名を変更し代表に就任する。工務店など大手企業を引き継ぎより事業を拡大し奈良県だけではなく、近畿圏にも事業を拡大する。 |
平成8年 | 新事務所・工場(大和高田市土庫)完成、移転する。 |
平成13年 | 建設業許可を取得する。建築板金業のみならず建築工事にも事業を拡大する。 |
平成16年 | 大和高田市土庫において、現社長である森亮介が『有限会社 森建築板金工業』を設立する (資本金 5,000,000円) 建設業許可 奈良県知事許可(般-16)第14517号 |
平成18年 | 奈良県で初めてタッチパネル付最新折り曲げ機・切断機を導入する。 |
平成21年 | 長年の経験を生かし個人様宅をメインとした『雨漏り修理専門』部署を立ち上げインタ-ネットでの集客方法を学び積極的に事業を拡大している。前年まで個人様宅売上が1割にも満たなかったが今年に入り、売上を2割に伸ばし今後も拡大する予定である。今後、近畿圏のみならず全国に『雨漏り修理専門』の事業を拡大できるよう思案している。 |
平成25年 | 株式会社 日本雨漏り修理専門119 を設立。
全国の雨漏りでお困りの方を救うために集まった同志と共に理念を共有し活動を行う。 日本雨漏り修理専門119主催で奈良県内の市町村を周る「屋根リフォームで失敗しない市民講座」を開催。 のべ100人以上の方が市民講座に参加されている。 |
平成26年 | 雨漏りに強い塗装としてアステックペイントを導入し、外壁の塗装工事を本格的に始める。 2015年度全国アステックペイント工事実績において奈良県第1位受賞。 NPO法人日本建築お悩み相談 副理事長に就任。 |
平成27年 | 関西119を始動。森建築板金工業と同じ理念を持つパートナー会社様と1人でも多く雨漏りでお困りの方を救うべくパートナー会社様を支店とし、業務を開始する。 |
平成27年 | 東京支店 開設 |
平成28年 | 福岡支店 開設 |
平成29年 | 平成28年度大和高田市男女共同参画社会づくり表彰 「大和高田市いきいき会社宣言事業所」として、誰もが働きやすい職場づくりをとおし、大和高田市の男女共同参画社会実現への積極的な取組みを表彰されました。 |