社長の思い
ありがとうが貰える
仕事人でありたい
About us
STORY #1
『 板金の仕事が好き 』
突然の実業廃止宣言
『俺は板金屋をやめて工務店をやる。お前はどうする?』
父からそう言われたのは、私が板金職人として父の下で修業に励んでいた20歳の時のことでした。工務店やハウスメーカーの下請けに甘んじてきた板金の世界。父はそこから一歩踏み出す決意を固め、少しずつ準備を進めていたようです。
しかし、私にとってはまさに青天の霹靂。とっさにこみ上げてきたのは、
「ひいお祖父ちゃんの代から続いてきた家業を、何でやめるねん!」という憤りでした。
この仕事をやめたくない。いや、やめてはいけない。私は必死の思いで父に食い下がりました。
20歳の社長誕生
どんなに説得してみても父の決意は固く、「もう決めたことや。ついてくるならついて来い。いやなら好きにしろ」と言われてしまいました。それでも小さい頃から祖父や父の職人姿を見て「カッコいいなあ」と憧れていた私は、板金屋への強い愛着を、そう簡単には捨てられません。
こだわり続ける私に、父は「それならお前がすべての責任を引き受けて、板金屋を継ぐ覚悟があるのか」と、逆に問い返してきました。
私はぐっと詰まりました。仕事もまだろくに覚えていない20歳の若造である私が、本当に会社を背負っていけるのだろうか。それは、底無しの不安の中に落ち込んでいくような恐怖感でしたが、気がつけば口の方が勝手に「やります!」と叫んでいました。
こうして無鉄砲にも程がある、20歳の社長が誕生することになったのです
STORY #2
『 修行と社長業を同時に 』
本気でぶつかれば
人はわかってくれる
社長になって最初の仕事は、父の工務店開業宣言によって、離れていった得意先を取り戻すことでした。初めはまともに相手になってくれなかった得意先も、何度も何度も足を運ぶうちに、クレームが出たらすぐにやめてもらう、という条件付きで、半分くらいが再び仕事を発注してくれるようになりました。
“いくら若くても、熱意をもって本気でぶつかったら、人はわかってくれるんや”。
そう学んだことは、私にとって大きな収穫であり、大いに勇気を与えてくれました。
しかし当時会社に残っていたのは、私と1つ年上の見習いさんの2人だけ。雨どいの交換くらいしかできません。人の伝手を頼って、やっとのことで板金職人を探し当て、その人に教えてもらいながら仕事をこなしていきました。今から思えば綱渡りのようで、よく無事に渡ってこられたな、と思いますが、必死だった当時はさほど大変だと感じなかったのですから、人間ってうまくできているなあと思います。
20歳の社長誕生
どんなに説得してみても父の決意は固く、「もう決めたことや。ついてくるならついて来い。いやなら好きにしろ」と言われてしまいました。それでも小さい頃から祖父や父の職人姿を見て「カッコいいなあ」と憧れていた私は、板金屋への強い愛着を、そう簡単には捨てられません。
こだわり続ける私に、父は「それならお前がすべての責任を引き受けて、板金屋を継ぐ覚悟があるのか」と、逆に問い返してきました。
私はぐっと詰まりました。仕事もまだろくに覚えていない20歳の若造である私が、本当に会社を背負っていけるのだろうか。それは、底無しの不安の中に落ち込んでいくような恐怖感でしたが、気がつけば口の方が勝手に「やります!」と叫んでいました。
こうして無鉄砲にも程がある、20歳の社長が誕生することになったのです
STORY #3
『 お客様の顔が見える仕事を 』
一般家庭の屋根リフォームを
少しずつ工務店の仕事も増えて、何とか会社を続けてきた私は20代の終わりにさしかかっていました。しかし、慢性的な不景気の中で、工務店の仕事は目減りしていく傾向にありました。
そんな時ふと浮かんできたのが、屋根の葺き替えや雨漏り修理の仕事を、一般のお客様から直接受注したらどうだろうか、ということでした。
専門技術が必要な建築業界は、元請とたくさんの下請けとで成り立っています。
しかし、一軒の家を建てるのは私たちには無理ですが、屋根のことなら専門も専門。雨漏りの原因をきちんと突き止め、修理するのはお手のものです。
「そうや、何もリフォーム会社から注文を貰わなくても、お客様から直接注文して頂けばいいんや」。「その方がお客様にとっても、出費を抑えられるはずや」。
そう思った私は手書きのチラシを作り、スタッフ全員でポスティングして回ることにしたのです。
自社直接施工の会社へシフト
3000枚撒いたチラシに、たった1軒、反応がありました。それが生駒郡にお住まいのU様です。どれだけ嬉しかったか、ちょっと言葉では言い表せないくらいです。
ところが今度は、U様のところに行くのがこわくてたまりません。これまでは下請けとして仕事をしてきて、直接お客様と話す機会がなかったため、自分の受け答えいかんで受注できるかどうかが決まると思った途端に、コチンコチンに緊張してしまったのです。
おまけにU様は業界最大手の電工会社のOBで、社会保険労務士として活躍されているというすごい方です。自慢ではありませんが、そんな人と話した機会などこれまで一度だってありません。
初めてお会いした日、私はしどろもどろで、U様はさぞ変に思われたと思うのですが、なぜか信用していただき、仕事を頂くことができました。スタッフ全員が張り切ったのは言うまでもありません。
そして私たち全員が、お客様に直接向き合い仕事をすることの充実感と、”ありがとう”と直接言っていただける喜びを味わったのです。
この得難い経験をきっかけに、森建築板金工業はお客様から直接、雨漏りや屋根に関する相談を受け、対策を講じる会社へと徐々に方向転換していきました。
STORY #4
『 自分に課した約束 』
責任を持った仕事をするために
工務店の下請けから、自社職人による直接施工の屋根・雨漏りリフォーム会社へとシフトしてからまだ数年。しかしこの短い期間に、私は実に多くのことを学ばせてもらいました。それは、直接お客様の悩みをお聞きし、責任を持ってそれを解決するという関係だからこそ、学べたこと。従来のように、工事現場の中の一つのコマとして、言われた職分だけを果たしていた頃には気づけなかったことが、そこにはたくさんあります。
これからも、お客様が安心して仕事を依頼して下さり、何かあった時には”森建築板金工業に聞いてみよう”と思って下さるような関係でありたい。そう思い、お客様への12項目の約束をつくり、お渡しすることにしました。
これはお客様への誓いであると同時に、私自身への戒めでもあるのです。
やる気の大切さを教えてくれた父
20歳のあの日、私を突き放した父の口ぐせは「やる気がないなら、やめろ」です。
30歳になった今、私はその意味が少しわかったような気がします。ここまで自分を支えてきたもの、それは「やる気」だけだったと思えるからです。
自分が心から「やりたい」と思わなければ、道は開けないのですね。
父に文句を言っているだけだったら、私はいまだに使えないヤツのままだったでしょう。
少々手荒だったような気もしますが(笑)、それを教えてくれた父に心から感謝しています。
仕事人としての私は、まだまだスタートラインについたばかり。これからもたくさんの困難が待ち受けていると覚悟しています。いまはまだ、たくさんの人に「ありがとう」を言うことの方が多い私ですが、その人たちに恩返しをするためにも、少しずつ「ありがとう」を貰えるような仕事をしていきたいと思っています。
みなさま、これからも温かく厳しく見守っていてください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。